言わずもがな、誰もがご存知の植物「小麦」。おそらく
イネや
サクラ、
ウメとともに日本人知名度ほぼ100%のアレ。
煮てよし焼いてよし、とりあえず粉にして水で練って火を通せば食べられて味つけに素直な万能食材。
五穀豊穣の五穀とは、
コメ・
アワ・ヒエまたはキビ・大豆、そしてコムギであるとされる。古事記ではヒエキビともに無く大豆と
アズキであったり、その時々によって中身が微妙に違っている。
イネ科コムギ属の一年草で、パンコムギ、クラブコムギ、デュラムコムギなどがある。
世界三大穀物の一つであり栽培の歴史は古い。コーカサス地方〜メソポタミア地方が原産で、紀元前1万3千年前後から栽培に移ったとされる。
はじめ1粒だったものがクサビコムギとの交雑によって2粒に、さらに紀元前5500年頃タルホコムギとの交雑によって麦穂に進化したものが一般的なパンコムギの由来とされている。
栽培される前のコムギは麦穂が風で飛んで行く性質で、収穫量も多く収穫時期も早い
大麦のほうが先に栽培が始またとされる。
茹でておかゆにするため、当時のオオムギとコムギの差は粒の大きさでしかなく
神の存在などフヨウラ、オオムギのほうが好まれた。
コムギが逆転したのは粉に挽く道具が効率化されたことで現代に通じる調理が可能になったことによる。
小麦粉の量産によってパンや麺が発達するも、中世ヨーロッパでは純小麦粉パンはおセレブな食べ物で庶民のパンはオオムギ・エンバク・ライムギなどが混ぜられていたという。
4千年前には中国で、大航海時代にはアメリカで栽培が始まり世界的な人類の基礎食物としての地位を確立した。
18世紀にはヨーロッパの生活事情の改善と農法の改良、20世紀には品種改良によってコムギの収穫量はどんどん増え、安定して大量に供給されるようになる。
日本への伝来は2000年前だが、平安時代まで碾き臼があまり一般的でなかったために食用作物として認識されていなかった可能性もあるという。
碾き臼の普及は江戸時代で、それ以前は普通の臼で粒を突き壊してからふすまを分ける必要があったため手間がかかるのが嫌がられたとも言われる。
江戸時代、都市部ではうどんや饅頭といった小麦粉製品が一般的になったものの、農村部ではやはりたまの贅沢品という扱いだったようだ。
本来の生態では秋に種をまき春に発芽し夏に収穫する越年草だが、発芽のために低温期間が必要なくなった変異種が春蒔きコムギとして存在する。
秋蒔きコムギは5〜6月、春蒔きコムギは7〜8月に開花・結実する。
温帯から亜寒帯まで、年間降水量500mm以上の地域で広く栽培される。
麦穂は雨になるとグルテンをあまり作らなくなるため、梅雨の時期がちょうど結実に被る日本では品質を高めにくい。
また、水田で裏作されることが多く、土壌環境もコムギよりイネ向けになっているという問題もある。
小麦アレルギーは知られているが、遺伝性免疫疾患の「セリアック病」というものがある。
1%の人がかかっているか、自覚が無いかという希少な病気であるためあまり知名度はないかもしれないが厄介な病気である。
消化しきれないグルテンの一部がペプチド鎖のまま小腸上皮組織に残り、免疫機構が小腸ごと攻撃、酷い場合には小腸から栄養が吸収できないぐらい破壊してしまう。
有効な治療法も見つかっておらず、ひたすらグルテンを除去したものを食べるようにするしかない。
他にもグルテンに反応して起こる病気があり、まとめてグルテン関連障害と呼ばれる。
グルテン源である小麦粉を摂取する機会が増えたことはもちろん、近年開発された品種のコムギが細胞毒性的なグルテンやペプチドを多く含むためという意見もある。